先日、大学で「科学と個人」という興味深いシンポジウムがあった。その発表者の一人に高名な加藤秀俊先生がいらっしゃった。先生は「個人」を、成長する「個人」、疎外される「個人」、参加する「個人」という三つの切り口で、さすがに深い洞察で語られた。その中で、参加する「個人」として、気象観測、ウィキペディア、P&Gの研究開発の例を挙げながら、現代の「アマチュアの時代」を指摘された。さらにそういう世界の流れの中で、日本ではなかなかそれが発展しないことも付け加えられた。例えば、アマゾンの書評の書き込みは日本ではわずかだそうだ。
なぜ日本ではそうなのか。ここからは私の感想。
「アマチュアの時代」に必要な条件が二つあるのではないだろうか。
第一は成熟した個人。
個人が成熟していなければ、へたをすると「大衆の暴力」にもなりかねない。あの事業仕分けも運営次第では、時としてそういう危険性もはらんでいる。そういう成熟した個人の厚み、マスメディア(まさに大衆の「マス」)の質も問われよう。
第二は逆説的だが、真のプロフェッショナルの存在。
そこにはプロフェッショナルとしての気概と表現力が必要。事業仕分けでの官僚諸氏(ただし全部ではなく、一部だが)を見て、そう感じる人も多いのではないだろうか。