インドネシアやフィリピンの外国人3人が看護師の国家試験に合格したそうだ。本人ももちろん毎日必死に勉強しており、その姿は涙ぐましい。そしてそれを支える新潟などの受け入れ病院の関係者も、研修費用だけでなく、仕事後もボランティアで日本語を教えるなどの暖かい支援も並大抵ではない。それぞれの背景には感動的な合格秘話があるようだ。
しかしそれにしても今回受験者254人の合格者が1.2%、昨年が82人全員が不合格とは唖然とする。日本人は8,9割が合格する国家試験だ。決して受験者の質が悪いわけではない。多くは本国で専門の学校を卒業後、一定の研修も受けた人材だ。最大のネックが専門分野の日本語の読解力だ。しかも折角実務研修を日本でしながら、受験機会が3回まで(介護士は事実上1回だけ)に限られている。その結果、ほとんどが帰国せざるを得ない。なんともったいないことか。
4年前に賛否両論ある中で、スタートしたこの制度だが、当初から危惧していた通りの結果になっている。外国人看護師、介護士を「表向きは門戸開放、しかし事実上は国家試験で排除」だ。今後はアジアの人々から日本は敬遠されるのは必至だ。国際的には「姑息で閉鎖的な国」としてのレッテルをはられることにもなりかねない。
もちろん生命にかかわる仕事であるから医療知識、日本語でのコミュニケーションはないがしろにはできない。そうだとしても法律用語など専門用語の国家試験が全く日本人と同等にできなければ現場での戦力にならないのだろうか。例えば従来の国家試験に加えて、外国人による2種看護師、2種介護士として新しい資格も設けて職種に幅を持たせることは考えられないのだろうか。
「とっても優しいんですよ。一生懸命だし。」
フィリピン人の看護実務を受けたおばあちゃんの言葉だ。フィリピン人は大家族主義なので、人の面倒をみることが自然にできる人が多いそうだ。調査によると、インドネシア人の介護士候補者の介護サービスを受けた利用者も9割以上がその働きぶりを評価している。やはり大事なのはサービスを受ける側の声だ。先ほどの案は受益者に選択の幅を広げることにもつながる。決して既得権を持つ供給者の声だけに左右されてはならない。
外国人看護師の受け入れで日本人看護師の待遇がますます悪くなるという悪影響を懸念するのも理解できる。精神的、肉体的にも重労働で、離職率も極めて高い。労働条件を大幅に改善しなければ、現場は崩壊寸前だ。この対応が緊急でかつ本筋の政策でもある。
しかしそれと同時に、これからの少子高齢化を見据えて、技術、知識をもった外国人人材をどう確保するかも大事だ。そういう人材の先進国間の争奪戦では英語圏の先進国が圧倒的に有利で、日本は大きなハンディキャップを背負っているのだ。国として外国人の高度人材を単に受け入れるだけでなく、育成するためのプログラムもあってもよい。
この問題も何年もずっと言い続けられてきた問題だ。議論ばかりではなく、もうそろそろ具体的に、かつ根本的に取り組んでもらわないと手遅れになる。