2010/11/03

COP10と「国際化」

COP10は未明の議定書採択で無事終了した。市民活動の盛り上がりはこの国際会議を誘致したことの意味を噛みしめさせてくれる。この会議を契機として自然保護の意識喚起、機運の高まりが期待され、それに努力されておられるNPOなど関係者には敬意を表したい。
 ただ会議の現実は、先進国と途上国の利害調整という駆け引きの世界だ。それはこの会議に限らないし、そもそもそれは当初からわかっていたことだ。一部報道に「崇高な理念と国益の争いのギャップに、市民に複雑な残像を残した」との指摘があったが、国際交渉の現実を初めて知ることになった市民としては当然だろう。
 また最終日の未明まで交渉して、議長の妥協案でギリギリ妥結するというのも、国際交渉では珍しいことではない。私もこれまで多くの国際交渉に携ってきたが、むしろ交渉者としてはこれは常套手段である。これも当初から関係者の間ではこの会議の成り行きはある程度予想された。「劇的な瞬間」「日本外交の勝利」といった過度の高揚感で受け止めるのはやや違和感がある。もちろん関係者の努力や会議の結果は正当に評価すべきである。と同時に、国際会議の現実をもっと冷静に見る目も養いたい。
ある外国政府関係者からこんな指摘もあった。
「「名古屋議定書」「愛知ターゲット」となったが、市と県が名前を分け合う調整の結果らしいね。英語の会議名も「アイチ・ナゴヤCOP10」になっている。国際的にはちょっと変だよ」」
事実はわからないが、こういう見方をされていること自体は残念ではある。

関係者のご努力と成果を心から評価するとともに、いろいろと「国際化」ということを考えさせられる会議でもあった。